【中世(鎌倉時代〜室町時代)】 鎌倉幕府はなぜ滅亡したのか?
中学生からの質問(社会)
鎌倉幕府はなぜ滅亡したのですか?
幕府からの恩賞が不十分で、御家人の不満が高まったからです。
将軍と御家人は「御恩と奉公」の関係で結ばれています。実際、1221年の承久の乱では、御家人は団結して幕府のために戦って勝利し、幕府も御家人の働きに対して領地を分け与えるなど、恩賞でこたえました。しかし・・・
1274年1281年
元寇
(げんこう)
御家人のがんばりや暴風雨のため、元軍は二度とも大打撃を受けてしりぞく ⇒しかし、元に攻めこんだわけではなかったので、新たな領地の獲得はなかった
- ●分割相続のくり返しで領地が小さくなった
- ●元寇に費用を自分で負担して参戦したのに恩賞が不十分
御家人の生活が苦しくなる
幕府への不満の高まり
1297年徳政令
御家人が手放した土地をただで取りもどせるようにしたが、効果は薄かった
御家人の不満は高まる一方
1333年 鎌倉幕府、滅亡
このように、元寇をきっかけとして御家人の不満が高まり、ついに幕府を滅亡させてしまったのです。